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One Hundred Aspects of the MOON
 >>月岡芳年について

月岡芳年のプロフィール
月岡芳年(1839-1892)  TSUKIOKA Yoshitoshi
・作画期   嘉永前期〜明治25年(1848〜92)
・画系 歌川国芳門下
・画号 玉楼 玉桜楼 魁斎 一魅斎 大蘇
 芳年は、天保10年(1839)3月17日、商家吉岡家の次男として生まれ、12歳で歌川国芳(1797〜1861)に入門したと伝えられる。
 はじめ役者絵を中心に描くも、文久3年(1864)から幕末にかけては武者絵を描くようになり、殺伐とした世相を反映した残酷絵、血みどろ絵と呼ばれる一連の作品で一躍有名絵師の仲間入りを果たす。
 明治5年(1873)に神経を病むが翌年快復し、後「大蘇」の号を用いて精力的に作品を刊行。新聞錦絵、怪奇画、美人画などのジャンルで人気を呼ぶが、とりわけ歴史画は芳年の独壇場だった。
 晩年、再度神経を病んで発狂し、明治25年6月9日、54歳で没した。そして芳年の死とともに浮世絵は終焉を迎えたといわれる。

 芳年が後世へ与えた影響は、実はすごく大きい(と思う)。
 例えば水野年方。かれは歴史画家・小堀鞆音(1864〜1931)とともに、歴史風俗画会を結成しているし、さらに日本画革新を標榜する日本美術院を明治31年(1898)に結成、賛助会員として参加するなど、新しい「日本画」の一翼を担った人だ。
 芳年門下の右田年英(1863〜1925)からは、鰭崎英朋(1881〜1968)や伊藤彦造といったイラストレーターが輩出されており、現在のアニメやイラストレーション、漫画へのつながりも感じる。
 明治後期から大正にかけて起こった新版画運動に携わったのは、鏑木清方(1878〜1972)の門人・伊藤深水(1898〜1972)や川瀬巴水(1883〜1957)、笠松紫浪(1898〜1991)、小早川清(1898〜1946)らだった。新版画運動とは、簡単に言うなら「近代浮世絵創出の試み」といえる。石井柏亭(1882〜1958)や山本鼎(1882〜1946)らが起こした創作版画運動とはちょっと違う。木版画、浮世絵の新意に努めた芳年の姿勢が、こんな部分でもしっかりと継承されていると感じる。

月岡/芳年─── ┌─山崎/年信      
├─水野/年方───── ┬─大野/静方 ┌─伊藤/深水─── ┬─岩田/専太郎
├─年一 ├─池田/輝方 ├─川瀬/巴水 └─志村/立美
├─年延 ├─池田/蕉園 ├─小早川/清  
├─年種 ├─鏑木/清方─── ┼─笠松/紫浪  
├─年忠 ├─荒井/寛方 ├─山川/秀峰  
├─年豊 └─秀方 ├─寺島/紫明  
├─年昌   └─山川/秀明  
├─稲野/年恒───── ──北野/恒富    
├─金木/年景 ┌─鰭崎/英朋─── ──神保/朋世  
├─右田/年英───── ┼─河合/英忠    
├─富永/年親 └─伊藤/彦造    
├─坂巻/耕魚(年久)── ──玉瀞    
├─山田/敬中(年忠)      
├─山中/古洞      
└─竹内/桂舟      
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